今から約90年前の1931年(昭和6年)、私の祖父の時代のこと。
私たちショコラティエ マサールのルーツである古谷製菓から
<フルヤのウインターキヤラメル>が発売されました。
北海道の寒さに対応するためミルクとバターをたっぷり使い、
煮詰める時間を短くして
冬でも固くならないように仕上げた冬季限定商品でした。
発売当初はオブラートに包んでおり、
スキーやスケートを楽しんでいる時、手袋を脱がずに簡単に口の中に放り込めるということで、
またたく間に全国区の人気商品となりました。
1984年(昭和59年)同社の倒産により惜しまれながら店頭から姿を消しましたが、
この度私たちは約40年ぶりにその味を手作りで再現することに成功致しました。
このプロジェクトはショコラティエ マサール創業者であり私の父でもある
古谷勝(2015年没)の情熱から始まりました。
当時の材料表、往年の職人様、大学教授様のご助言、メーカー様の原料調達のご協力のもと、
約10年の歳月をかけ成し遂げられました。
しかし、これまでの再現開発の道のりは決して平坦なものではございませんでした。
さかのぼること2010年冬、先代である父・勝が外部委託製造により再販にこぎつけました。
当時父は新聞の取材に対し
「創業家の一人としてフルヤ本来の味を残したい」「私にとって原点のような商品」
と語っております。
しかし再販後まもなく、委託先の会社の倒産により継続的な再販の道は閉ざされてしまったのです。
それから5年。
先代である父は志半ばで他界してしまいました。
その後マサールを継承した私の心の中にも、
いつしか「ウインターキヤラメルを復刻させたい」という使命感が宿っていることに気がつきました。
当初は父同様、外部の委託製造先を探しましたが、
製造ロットが折り合わなかったり、試作品に満足できずなかなか前に進めません。
何度か諦めかけましたが、「ひょっとしてこれは自分自身の力で再現しなさい。」という
ご先祖様や先代からのメッセージなのかもしれないと考えるようになりました。
そこで自社開発に切り替えることに致しました。
まず、取り組んだのは当時の材料表をもとに現在手に入る材料を探すことからです。
何しろ40年以上も前の材料表。
現在は流通していないものも多々あり、代替品を探すだけで数ヵ月を要しました。
何とか材料は集められたものの、その後何度も何度も試作と失敗を繰り返しました。
そもそも材料表は残っていたものの、製造工程に関する資料がまったくありません。
砂糖や水あめ、バターを火にかけるタイミングもわからず、
キャラメルの状態を見極め火を止めるタイミングなどの経験値もありません。
私自身、小学生当時の味覚の記憶をたどりたどりの試行錯誤の連続でした。
途方に暮れる中、一筋の光を与えてくれたのは
古谷製菓OB、OGの皆さんでした。
たまたま私が<ウインターキヤラメル>復刻に取り組んでいるということを、
地元新聞やTV局が報道してくれたことをきっかけに、
すでに90代を迎える古谷製菓OB、OGの皆さんがマサールまで応援に来てくれたのです。
古谷製菓倒産時には一方ならぬご苦労をお掛けした皆さんが、
その一族の末裔である私からの相談にも関わらず、
快く懐かしい工場風景や当時の人間模様を私たちに語ってくれました。
また、その後我々が相談でお持ちする試作品に対して、
「色が違う!」「固い!」などなど往年の工場長さながらの叱咤激励と
<ウインターキヤラメル>製造のノウハウをご指導頂きました。
こうして紆余曲折、
多くの皆様のご協力で何とか形になった復刻<フルヤのウインターキヤラメル>。
「古谷製菓が製造していたものと全く同じものか?」と問われれば
「全く同じです。」とはお答えできません。
しかし今我々ができる精一杯を傾け、
ショコラティエ マサールの礎を築いてくださった先人たちへの敬意、
道民の皆さんが子供のころポケットに忍ばせたウインターキヤラメルとの甘い記憶に
心から思いを馳せたことは誓うことができます。
この一粒が北海道民の古き良き時代の記憶を手繰り寄せる一粒になり、
明日に向かう若々しい活力を取り戻す一粒になれるとしたらこれに勝る喜びはございません。
すべての北海道民に感謝を込めて。
ショコラティエ マサール
二代目代表 古谷 健